Tuesday, October 1, 1996 1:18:15 PM

貧困と健康


 20世紀も余すところ僅か4年となった今日、地球上には急増した約58億もの人々が生活しているが、1995年のデータによれば、世界人口の約半数に近い23億人ほどが貧困層に属し、そのうちの約10億人がいわゆる「絶対的貧困」状態にある。1980年代後半から90年代にか けては、世界の激動期にあたり、冷戦構造は崩壊し、政治的には民主化、経済的には市場 経済が進みつつあるが、米国による不完全な一極支配体制の中で、民族運動の激化、原理運動をも含む宗教的な活動の活発化などによる混乱が世界中で噴出し、過度期の様相を呈 している。政治的混乱による局地戦争の結果、民衆レベルでは、多数の難民(推定2600万 人)と国内避難(推定5000万人)が出現し大きな経済的負担となりつつある。この混乱期においては、先進国の経済成長がゆっくりと続く一方で、多数の開発途上国が経済的に後退化現象をみせ、世界の中での富める者と貧しい者との差は益々拡大する傾向にある。さらに開発途上国の中でも特に最貧国(WHO190のうち48ヶ国)と呼ばれる国々では、国のレベルでも民衆のレベルでも貧困がひろがり、開発途上国の間でも格差が生まれつつある。人口の都市集中と老齢化は益々進み、貧困層の多い社会に環境の劣悪化がより多く見 られている。

 貧困ということは、これまで主として経済的な見地からのみ測定され、主に国や個人レベルの所得によって定義、あるいは、分類されてきた。しかしながら、貧困ということがらが、より広い視野から人間および生活全体の質的状況を表していることを重視すであるという考え方が提唱され、WHOを含めさまざまな関連機関が、貧困をどのように解釈し、この問題とどのように取り組むかについて、最近いろいろなアプローチを試み始めているところである。つまり、貧困とは、人間の基本的なニーズを満足させるに足る十分な資源が不足している状態をさすものであり、様々な形の集合体を形成している。それらの主要な要素は、不適当に低い所得、教育、特に基礎的教育の欠如、知識と技術の欠如、不健康な状況およびヘルス・ケアと無縁の状況、貧困な住居状態、清潔な水と衛生設備の欠如、不十分な食糧供給と栄養状態、家族計画を含む母子保健をとりまく様々な支援の欠如、などが挙げられる。

 WHOは、これらの複雑な貧困問題を健康分野からアプローチし、人々の健康状態を改善 することによって、貧困状態からの脱却の一助とする、という支援を始めている。また、WHOは、実際に貧困状態というものが疾病を含むあらゆる健康問題の改善を妨げるも大きな原因になっているという認識をもって、各国と協力しながら、どのようにしたら健康分野からのアプローチを総合的な施策として人々の生活改善をはかることができるか、という考え方を推進している。したがって、貧困と健康というのは、相互に影響しがら互いに足を引っ張り合う関係にある。WHOでは、約40ヶ国の開発途上国に関して比較検討を行い分析したが、この過程で明確になってきたことは、一般的に使われている一人当たりの国民総生産(GNP/Capita)の比較だけでは、到底、貧困問題を扱うことはできないことがより明白になったことである。特に、GNP/Capitaが低い国々の中にも、健康指標が良好で、人口の大部分が極めて良い生活状況を呈しているところがいくつもある事実である。例えば、乳幼児死亡率を例にとると、非常に所得の低い国、例えばエチオピア、ニジェール、マリ、中央アフリカ、ベニンなどでは、経済状況の悪化とともに所得の低下がみられ、これがすぐさま乳幼児死亡率の上昇へと結び付いている。しかしながら、マダガスカルやトーゴのような、比較的高い女性の識字率や学校教育の普及がみられる国では、最貧国であるにもかかわらず、かなり速いスピードで乳幼児死亡率の改善がみられる。さらに、もう少し所得が多い国々においてもやはり、成人の識字率の割合が高く、とりわけ女性の識字率が高い国では、経済状況の多少の悪化にもかかわらず乳幼児死亡率は大変な改善をみている。ニカラグア、ジンバブエ、ホンジュラスなどがその例である。このような相関関係は、清潔な水と衛生設備の普及が進んだ場合でもみられ、開発途上国にあっても明らかな健康指標の向上がみられる。したがって、人間に対する投資と同時に人間生活を豊かにするインフラ投資は、貧困状況からの脱出に一つの鍵を与えるものである。こういった関連性についてはいずれの要素がどのような結果を生むかについて一義的にすべてにあてはまるわけではなく、国々によってそれぞれ特徴があり、それは、文化的・民族的な背景、その他地域社会での規範などによることと思われる。

 ではどのような方策がもっとも効果的な貧困問題の解決策になるのだろうか。大きく言えば、世界全体の貧富の格差をなるべく少なくすること、また、一国の中でも大多数の人々が一定以上の収入を得られるような施策をとることが大切である。健康との関係で言えば、健康の格差を世界的にも、また一国の中でもなくすことが最も大きな課題であり、かつ解決策になり得る。政府はある一定の割合の公的支援を保健・医療サービスや個人の基礎教育あるいは女性教育にふりむけるとともに、個人が技術や知識を得ることを支援することによって、大多数が一定の所得を得、自立へ向かうことができるようにすることが大切である。特に、健康面で言えば、可能な限り疾病をとりのぞき、不健康状態から派生する不要な負担を減少させ、特に女性の教育に力を入れ、さらに家族計画を含む健やかな妊娠・出産・育児にかかるあらゆる支援をすることが大切である。また特に村落においては、食糧生産などをも含む総合的な生活改善運動を進める一方、増大する都市部の貧困層に対しては、差別化ではなく、低所得層をどのような形で社会参加できるようにするか、また健康サービスをいかにして個々人に行き渡らせるかという点に注目しなければならない。

 国際社会では、1995年に開催された国連社会開発サミット等を通じ、貧困問題に関係の  ある行動計画を合意してきている。具体的な国際協力分野からの資金援助や技術援助については、より多くの社会サービス支援、特に保健医療や基礎教育の充実、女性に対する支援を強化し、社会の安定化を外側から支援する必要がある。特に、低所得、最貧国の場合は、対外援助が既に国の予算のかなりの部分を占めているところも多く、国民の声を反映した部分に対する、より密接な支援を強化すべきである。この中で、大切なことは、単に政府間の問題ではなく、政府が行うような二国間支援については多国間機関における様々な経験を吸収するようなメカニズムをつくり、さらに都市部・農村部共にきめ細かな人間支援、健康、教育支援を行うためのシステム作りを考える必要がある。そのためには当該政府の力だけでは全く不可能であり、特に地域社会において最も重要な共同体そのもの、そしていわゆる草の根で活動する非政府機関(NGO)の協力と参加をより推進すべきである。NGOの役割は、こういった観点からも今後より重要になっていくものと思われ、国際機関、地域機関、NGOの健全な形での協力・連帯作業が実は最も大きな民衆支援になり得る形であろう。WHOは支援国家、開発途上国、と共に、そういう形の総合的な活動と、人間への投資と参加型社会構築を目指して、貧困と健康の問題を共に解決しようとするものである。

(第1回AMDA国際フォーラム川口 雄次氏(慶応義塾大学客員教授)講演要旨)


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